腰椎破裂骨折から今までを振り返る (1) 事故当日
みなさん、こんばんわ
いきなりですが、この後の内容を見たら、
もしかするとビックリしてしまうかもしれません。
なので、最初にひとことお伝えしておきます。
「半年経った今は、おかげさまでほぼ心配ないところまで回復しています!」
・・・というわけで、心配しないでくださいね。
でもって、私自身もようやく半年前のあの日を振り返る整理がつきました。
それではあらためて、振り返っていきますね。
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遡ること半年前の2020年1月2日・・・
僕は、自宅であるシェアハウスの2階から落ちて、
腰の骨を折ってしまうことになりました。
落ちた瞬間に感じたのは、
下半身が「熱い」ただそれだけです。
とにかくヤバイ状況になったのだけは確か。
下半身の感覚が無く、もちろん落ちた瞬間から起き上がることはできません。
自宅の周りは住宅街、とっさに助けを呼ぼうと叫んだのですが、
正月明けの2日、周囲は出かけている人ばかりのようでした。
腰から上は問題なく動かせることに気づき、
ポケットのスマホから、自分で救急車を呼びました。
救急車が来るまでの間に、お隣の伊藤さんが通りかかり、
慌てて駆けつけてくれました。
腰がどんどん痛くなってきて、しゃべるのがつらかったのですが、
救急車を呼んだことを伝えました。
伊藤さんが救急車を誘導してくれて、
そのまま僕は救急隊員の方に運ばれます。
腰の痛みはさらにひどくなり、しゃべるのはつらいのだけど、
とにかく救急の隊員さんに、
二階から落ちてしまったことと、下半身の感覚が全然ないこと、
腰が痛くてもうどうしようもないことを伝えました。
隊員さんの判断で赤羽の病院へ・・・
「ちょっとウチでは、治療ができない状態です」
腰が痛くてたまらないけど、意識はあるので、
白衣の先生が言っているのが聞こえました。
(先生が別の病院に連絡を取ってくれている)
ということは分かりました。
同時に思ったのは、
「救急車に移動か~ヤダなぁ・・・」
ということです。
なぜなら、ベットから担架に体を移動するときの衝撃で、
ものすごく死ぬほど腰が痛かったからです。
まぁ、痛かろうがなんだろうが、
とにかくその後すぐに僕が運ばれたのは、
埼玉県済生会川口総合病院、整形外科病棟でした。
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・・・と、ここまで書いていて、
この時点で、落下事故から多分3時間も経ってないような気がします。
救急隊員さん、病院の皆さんが、
ものすごーく全力のスピードで私を救っていただいたのだと思います。
半年経った今、こうして問題なく歩けるようになったのも、
この時の皆さんのおかげなんだなーと。
今更ですが、ほんとうにありがとうございました。
あ、そうそう!
救急車が来て運ばれて、この後済生会病院で手術が終わるまでずっと一緒に付き添ってくれたのが、
シェアハウスで一緒に住んでいる諏合さんです(今は私の隣の部屋で寝ています)
痛くてまともにしゃべれない私の代わりに、隊員さんといろいろやり取りいただきました。
やばい、自分、振り返るとすごくいろんな人のお世話になってる!
というわけで、書いてくとすごーく長くなるので、
今回の闘病記はここまでにしておきます。
次回は、済生会川口総合病院の整形外科での緊急手術について書きます。
(p.s.)
この時の記録は、事故から数日経って投稿したFacebook記事のみです。
そりゃそうですね・・・手術前に記念に撮っとこう!
なんてぶっこく余裕などない状況でしたから。
事故直後は
「腰が死ぬほど痛い」
本当にただただそれだけでした。
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